私は、昭和11年8月に、山口市内、一の坂川沿いの千歳橋そばで誕生、今日まで居住。
 小さい頃から、綴り方、作文が大好きで、戦争中は、慰問文を書いて身近な暮らしを、兵隊さんへお便りした。20数年前、随筆講座へ通い、また文章を書き始めた。その引き金は、山口市内に、先祖から由緒ある地名、町名が無視された新住居表示が、昭和43年5月1日実施されたことで腹が立ち、発奮し、昭和60年から縁あって、ミニコミ誌や新聞へ「山口地名の今昔と周辺」を書き綴っています。
 拙文をお読みいただき、改めて、向三軒両隣の庶民生活や歴史を知る好機になりますと嬉しいです。

久保小路と亀山湯

 昭ちゃん肉屋の銭湯小路と一の坂川マンションのある新馬場の四角を、下竪小路の宇佐川酒舗へ抜けるひっそりとした道が久保小路です。
 明治政府の伊藤博文公をはじめ歴代の政治家により、八坂神社そばの「菜香亭」で催される大宴会には、久保小路から人力車を連ねて駆け参じる芸者衆のあで姿が、それは目を見開くものがあった。
 当時は、連子格子の置屋が軒並にあり、京都先斗町を思わせる艶町でした。
 山口芸者と湯田芸者は、お互いに鎬をけずり、ライバル意識を燃し、朝から、踊りや唄や三味線の音が聞こえ、稽古の後には、亀山湯へ出入りする姿が見られ、深夜には、溝ふたの下を、白粉くさい湯が流れていたそうな。戦争中の音曲停止命令から、世の中がすっかり変わって芸者不在となった久保小路には、昔の華やかな面影が見られない。
 今はわずかに、一水をはじめ割烹料理店・やきとり屋が宵をにぎわしている。亀山湯の煙突は相変わらず寡黙に久保小路界隈を眺めている。