珍連載コラム9. 「或るカリスマの死


指揮者のカルロス・クライバーが亡くなりました。享年74歳。
NHKのニュースは「最後の巨匠」と報じましたが、「最後のカリスマ」というべきでしょう。

カルロス・クライバーの音楽の特徴は、今音楽が生まれ出でている、とでもいうような生命感でした。
それは、アイルトン・セナの駆るF1マシンのようになめらかで、官能的で、刹那的なものでした。
 
クライバーの遺した正規録音は、交響曲はベートーヴェンの4番、5番、6番、7番、
シューベルトの3番と8番、ブラームスの4番。2回のウイーン・フィルのニューイヤーコンサート、
歌劇はウェーバーの「魔弾の射手」、ヴェルディの「椿姫」、ワーグナーの「トリスタンとイゾルテ」、
喜歌劇でヨハン・シュトラウス二世の「こうもり」、協奏曲ではリヒテルと共演したドヴォルザークの
ピアノ協奏曲、それだけです。

50歳を過ぎてからは演奏会でも、それらの曲にブラームスの2番やリヒャルト・シュトラウスの
「薔薇の騎士」などが入るくらいで、数少ない曲目ばかりを繰り返していました。
それもほとんど演奏しないため、彼が出るかもしれない、というだけで瞬く間に切符が
売り切れてしまうこともありました。
 
艶聞、醜聞も含めた逸話には事欠かない人でしたが、それは彼がカリスマである証拠かもしれません。
曰く、契約書は一切かわさない。いつ演奏会をキャンセルするかわからないから。
(事実、演奏会直前のキャンセルはこの人にとっては当たり前で、最近はそのためにアバド、レヴァイン
といった大物指揮者が控えていたものでした。)
曰く、ウイーン・フィルとベートーヴェンの田園交響曲をの録音中に、「この曲がわからなくなった」
と言って帰ってしまい、長く出入り禁止をくらった。
(「こんな下手なオーケストラとはやってられない」と言って帰ってしまった、という説もある。
こちらの方がクライバーらしくて私は好む。)
曰く、親日家で、年に何度も東京を訪れ、乗り放題のパスを買って地下鉄であちこち
出かけるのが好きだった。
曰く、カラヤンは決してベルリン・フィルをクライバーに指揮させなかった。彼のカリスマ性を恐れたから。

思えば、指揮者としてのクライバーの世代というのは、カール・べーム、カラヤン、バーンスタインの後、
巨匠不在の世代でした。
ここに来て、四十歳台あたりの指揮者の中に、新たな巨匠となる資格を持った人が出はじめています。
例えば、サイモン・ラトル、ヴァレリー・ゲルギエフ、クリスチャン・ティーレマン。
彼等をつなぐ世代の中で、クライバーの役割は何だったのか。
後世の好事家がそれを検証しようにも、遺された録音はあまりに少ない。
逸話ばかりは膨大な量なのに。
しかし、それもクライバーらしいといえばクライバーらしい、と思います。
彼の音楽は、録音に収まるものではなかった。
彼の実演に接した者だけがその心に留め置ける、そのような音楽でした。
 
私がクライバーの演奏会を聴いたのは2回だけ、1988年のウイーン・フィルのニューイヤー・コンサートと、1994年の東京の「薔薇の騎士」で、ウイーンで聴いた時は、楽屋まで行ったものでした。
(ウイーンの楽友協会ホールは、演奏者が了解すれば誰でも楽屋を訪れることができるのです)
 特に機嫌がいい時だったのかもしれませんが、気さくな方でサインをいただき、握手をしてもらった後に、
私は声をかけました。
“I hope to listen your Die FLEDER MAUSE in Japan,someday.”
はじけるように笑ったクライバーは、何度も、
“someday,someday”
と言いました。
“someday”という言葉が気に入ったのかもしれません。
その口調にも、刹那な匂いがありました。
“someday”と言いながらも。

注:“Die FLEDER MAUSE”は、ヨハン・シュトラウス二世作曲の喜歌劇「こうもり」。
クライバーの得意とした曲のひとつ。