珍連載コラム6. 「ミツコ、忘れられた日本人の美しい輝き」


合衆国兵と英連邦兵によるイラク捕虜虐待とEU拡大ニュースから思った一人の日本女性のことを書きます。仏ゲラン社の香水の「ミツコ」の名前は知っていても、その名の由来となった光子クーデンホフ伯爵夫人のことは知らない日本人がほとんどです。
合衆国で最も有名な日本女性の名前はヨーコですが、欧州で最も有名な、そして尊敬をもって語られる日本女性の名前はミツコです。 ヨーロッパ連合の提唱者であるリヒャルト・クーデンホフが、彼女の息子だからです。

明治初年に東京の骨董商の娘として生まれた青山光子は、尋常小学校を出ると女中奉公に出て箏三弦・踊り・歌・お茶・生け花などを身につけます。オーストリア・ハンガリー帝国の公使であったハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵との出会いは諸説があってはっきりしませんが、結婚したのは光子が十八歳の時、夫と共にウイーンに渡ったのは二十三歳の時でした。

国際結婚など考えられなかった時代に、一庶民であった光子が、クーデンホフ伯爵夫人として欧州に渡り、貴族の妻として立ち振る舞いながら、異郷で七人の子供を育てることは容易ではなく、このことを次男であったリヒャルトは、このように回想しています。
「母は一家の主婦としてよりも、むしろ女学生の生活を送っていて、算術、読み方、書き方、ドイツ語、英語、フランス語、歴史、および地理を学んでいた。その外に、母はヨーロッパ風に座し、食事をとり、洋服を着て、ヨーロッパ風に立ち居振る舞いすることを学ばなければならなかった。」

リヒャルト・クーデンホフは1923年に「パン・ヨーロッパ」という論文を発表し、民族や国家で争うのではなく、ヨーロッパは連邦国家として協調していくべきだ、という彼の主張は静かに、しかし確実にヨーロッパの社会に影響を与えていきました。
それはECC(ヨーロッパ経済共同体)、EC(ヨーロッパ共同体)をへて現在のEU(ヨーロッパ連合)と発展して、そして、この度の旧東欧圏の加入により、ヨーロッパ連合はリヒャルト・クーデンホフの理想に更に近づいたのです。

ヨーロッパの人はパン・ヨーロッパ思想を聞いたとき、自分達の思想とは違う何かを感じ、その提唱者である
リヒャルト・クーデンホフの母親が日本人であることが報じられると、新聞各紙は光子を「ヨーロッパ連合の母」と
呼んで、和を以って貴しとなす、という日本的な考え方がパン・ヨーロッパ思想の根底にあることを、ヨーロッパの人びとは感じていたのです。

世界が日本に対して期待しているのは対立する国のどちらかに加担することではなく、協調の仲立ちをとることなのです。この度のイラクにおける捕虜虐待は人種差別かもしれないし、宗教差別かもしれない。
しかし、その根本にあるのは、もはや合衆国と英連邦の連合軍には、虐待をしなければイラクの統治ができない、という事実です。日本は一刻も早く、このような恥ずかしい軍隊に協力することを辞め、自衛隊を撤退すべきだと私は考えます。その上で、この問題に関して合衆国とイラクが互いに接点を見出す道を探るべく力を尽くすべきで、それが、日本にとって世界から尊敬を集め、真の国益につながるのです。

光子がオーストリアで亡くなったのは1941年、第二次世界大戦のさなかでした。
遺体は、かねてから彼女の望んでいたとおり、日の丸の旗で包まれたと聞きます。
今の日本は彼女のその想いに対して恥ずかしくない国である、と断言できる日本人がいるのでしょうか。
忘れてはならない人が忘れ去られているのは、さびしい事です。