珍連載コラム2 「給金さんはどこにいる」


土佐に行ってきました。
高知市で勤務している友人を訪ねた旅でしたが、色々な発見や刺激のあった旅でした。
その第一が絵金さんを知ったことでした。

絵金、とは通称でその名は金蔵。絵師の金蔵だから絵金です。
土佐の人は、しかし、呼び捨てにはせず、絵金さん、と呼びます。

絵金は幕末の土佐の人で、若くして江戸に出て狩野派を極め、帰郷して土佐藩お抱えの絵師となります。しかし、贋作事件に連座して狩野派を破門となり、一切の狩野派の技法の使用を禁じられ、藩も追われ、流浪の途につきます。
それから十年間の絵金の足取りは誰も知りません。藩を追われると同時にそれまでの作品も全て破棄され、お抱え絵師時代の絵金の作品は、現在に至るまで一点も見つかっていません。

十年の空白の後、絵金は忽然と赤岡(現在の高知県赤岡町)に姿を現します。
地元の旦那衆から支持をえた絵金は、生涯をその地で芝居絵を描くことで送ります。
絵金の芝居絵は、ほとんどが生首が転がり、血しぶきが飛び散る、といった具合の残酷な場面で、土佐の人はその絵金の芝居絵を珍重し、赤岡の町では、毎年七月に絵金祭りを開催し、絵金の芝居絵を所蔵する家々が玄関や座敷に展示します。夜には蝋燭の灯で芝居絵が照らし出され、人びとは心ゆくまでその世界を堪能してまわるのです。

私もそのような絵師が居たと聞いたことはありましたが、どうせ際物だろう、第一その祭りの間しかまともに絵が見られないのでは、と思っていました。ところが、友人宅で「美味しんぼ」の新刊、全国味めぐり高知県の巻を読むと、絵金資料館に行けば絵金の白描が年中観られると知り、更に高知市から一時間もあれば行けると聞き、たまらず翌日友人と出かけることにしたのでした。
何しろあの海原雄山も訪れたのですよ。行かないわけにはいきません。

そこで対面した絵金は。
芝居絵の下書きも良かったけど、私が仰天したのは、水墨画調の白描の詩情と静けさでした。
何というのでしょうか、ローリング・ストーンズやらクレイジー・ケン・バンドといった、賑やかな曲が専門と思い込んでいた連中がバラッドで一転、心の奥に沁みるような静謐な音楽を聞かせてもらった、といった驚きでした。

聞けば、絵金は狩野派の技法の一切を封印されたため、芝居絵は独自の技法で描かざるをえなかったのですが、自分の楽しみのために描いた墨一色の白描では、狩野派と思える技法も使用しているとのことでした。
しかし、絵金の芝居絵も、どこかにつきぬけたような静けさが表現されているのではないか、その詩情と、型破りなようでいて実は洗練の極みにある画面構成が、人をしてここまで絵金に熱中させるのではないか、という気がするのです。
それを確かめるため、次の絵金祭りには行かなければ、と決めてしまいました。
 
この夏には絵金記念館も完成し、年間を通して絵金の芝居絵が展示されるそうです。そうすれば、この異端と思われている絵師も容易に鑑賞できるようになり、評価も高まると思います。

私が訪れた資料館は、吉川さんという土佐絵凧を制作しておられる方の自宅で、絵金に手ほどきを受けた曽祖父の集めた白描を展示しています。
築百数十年のこの自宅で、絵金に心酔しているご家族の説明を聞きながら白描を間近で拝見する
という風情が素晴らしいのです。
しかし、作品の保存の問題もあるので、記念館への寄贈を考えておられるとのことでした。この風情も間もなく変わってしまうのかもしれません。

資料館では絵金ともうひとつ、この吉川さんの土佐絵凧と、何よりも吉川さんとそのご家族のお人柄に深い感銘を受け、突然訪れた門外漢の私どもにも丁寧に接してくださり、色々なお話をいただきました。多くの著名人が訪れているだろうに、今上天皇陛下の御前で土佐絵凧の制作をされる小さな写真だけが飾られ、誰にでもごく当たり前のように絵金と土佐絵凧を見せてくれるので、絵金さんの素描と土佐絵凧を観て、吉川さんのお人柄に接する。そのためだけに土佐に行くのもいいな、とさえ思ったものでした。

さて、知人のお孫さんの端午にと、土佐絵凧を一組求めてきました。
土佐絵凧は二枚で一組とするのが約束で、一枚は絵、一枚は吉祥文字を組み合わせ、文字は男の子だから「龍」とすぐに決まったのですが、もう一枚の武者絵は迷いましたね。
義経と源頼光の鬼退治(大江山の酒天童子)の二つがあり、結局頼光にしました。 
義経を贈って、女難に見舞われてはいけませんからね。

  絵金さんのファンサイト

  土佐絵凧を紹介するサイト