珍連載コラム1「 沙翁のピアス



ところで、近頃の若い者は、と思うことはありませんか。
私も齢四十が近づくと、ついついそんなことを思う時があります。
特にいけないのが、繁華街などでストリートミュージシャンを囲んで地べたに座り込んでいる
若い衆と、ピアスをしているお兄ちゃんです。
ところが、考えを変えないといけないなあ、と思うことがありましたので、
そのことを書きたいと思います。

まず、地べたに座り込む若い衆について。 
宮本常一先生の「絵巻物に見る日本庶民生活誌」(中公新書)を読むと、
地面に座り込む民衆の姿を描いた絵巻物にふれ、
「どこにでも坐るということは、それほど生活が自由闊達であったといってよかったかと思う。」
という一節があります。そして、そのような姿勢は、伝統として京都周辺には残っているとし、
三条あたりから鴨川上流に沿って人びとが座って休んでいる景色について語っています。
それを読んで以来、座り込んでストリートミュージシャンを囲む若い衆を見ても、
鎌倉時代あたりの民衆に先祖返りした自由さと熱気を見るような気がして、
ほほ笑ましくも思うようになりました。
お兄ちゃんのピアスについて。
先日、ロンドンに遊び、ナショナル・ポートレート・ギャラリーに行きました。ここはその名の
とおり肖像画の美術館で、古今の英国の肖像画が収められています。
教科書で見たような肖像画がたくさんある中で、私が足を止めたのは、シェイクスピアでした。
有名なその肖像画のシェイクスピアは、小さなピアスをしていたのです。

近頃の若い者は、というのは、インドのモヘンジョダロの遺跡にも刻まれているのだそうです。
全く、天が下に新しきものなし。およそ人のすることというのは、どうも誰かが先にやっている
ことばかりのようです。

ちなみに、題名の「沙翁」というのは、明治の頃にシェイクスピアを気取って呼んだ名前。
名づけた人は、沙翁がピアスをしていたと知っていたのでしょうか。